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クリスティーネ・ファウステン 漂う ギャラリー ラウラ

ギャラリーラウラ(愛知県日進市) 2020年4月2〜17日

 ドイツ出身で、スイス在住の女性アーティスト。同ギャラリーでは2017年に次いで2回目の個展となる。デュッセルドルフ美術アカデミーで、ゴットハルト・グラウプナーなどから絵画を学び、音楽にも親しんできた。
 作品は立体が中心で、他に大作絵画と版画がある。立体は、人間とも動物ともいえる、あるいは両方の特徴をもつ立像や、クーハンあるいは天蓋カーテンに包まれたベッドに眠る人間、動物など。いずれも、ミステリアスで、どこか愛くるしい。人形、ぬいぐるみに近いのだが、そう呼ぶにはあまりに謎めいている。会場では、作家によるアコーディオン演奏の曲を聴きながら、その世界観に浸るよう促される。

 ありあわせの雑多な素材を組み合わせたブリコラージュ的な仕事であり、手芸的な作品である。知人などが着ていた服を裁断した切れ端をつなぎ合わせる、友人や家族が着ていたニットを解いた毛糸を編み込み直すなどした作業工程がうかがえる。そのほか、ボタン、ウレタン、ネット、着物帯、リボン、植物など、古びた素材、日常的な物の一部など多様な要素が集められ、動物/人間らしき姿へと変容させている。

 手芸的な素材・手法は、男性中心の美術の制度・イデオロギーによって、外部へと追いやられた女性的、家内的、生活的な感覚を呼び覚まし、人形、あるいは、ぬいぐるみ、もっと言えば、それらが眠りながら浮遊するような空間の表現にも、男性を中心とした社会制度、家父長制、文化システムに対抗する、しなやかな感性を見て取れる。
 人間中心的な知の体系が排除した自然や動植物と人間との交感、野生への畏怖、人智を超えた存在への崇敬も、作品世界から筆者は受け止めた。作家がクリエイションした半人半獣のような存在は、柔らかく、包み込むような寛容さをもち、そうした世界を表している。

 展示空間は、とても軽やかである。「漂う」という展示タイトルの通り、人形が眠る天蓋の付いたベッドが吊るされ、揺らいでいるせいもある。会場に流れるアコーディオン音楽や、壁にひょいと留められた半人半獣などの展示もそうした雰囲気を高めている。
 会場の雰囲気を柔らかくしているのは、やはりカラフルな素材の効果が大きい。日常生活の中から集められた素材の多くは、布切れ、毛糸、レース、ネットなど手芸的なものが多く、しかも、それらは小さな断片となって、寄り添うようにつながれている。使い古された布切れや毛糸を編み直す手法は、自然の循環をも想起させる。かつてそれを使っていた人たちの記憶や生の時間が巡り、あるいは、いつか訪れる死から再生し、新たな姿へと紡がれる。

 筆者が最もひかれたのは、さまざまま毛糸を編み直した半人半獣の立体。ありあわせの過去の素材が集められ、ある人間が営んだ日常の生活とその延長にある死の記憶とともに新たな存在性を与えられる。人間存在を包む自然が循環するように、そうした半人半獣も超自然的な力が形を変えた化身のように現れ、柔らかに舞い降りたようでもある。
 人間は、動物をはじめ他の生き物、植物を食べ、それらに由来する体を創造していることで、既に、動物である。半人半獣は、人間であること、動物であることの境界を溶解する自然そのものである。

 クロネコのようにも見える有機的なフォルムのしなやかな骨格におびただしい布切れが絡まり、体毛のように覆う立体。ウレタンで作られた顔、胴体に、記憶を宿したさまざまな衣類の一部や日常的な素材がまとわりついたグロテスクな立像。そして、浮遊し漂うように柔らかな空間に眠る人形たち‥。

 植物的なイメージだろうか、中間色の線をやや乱雑に走らせながら自在に描いた絵画が1点出品されている。みずみずしく生命をみなぎらせたそのキャンバスも、古びた毛糸が編み込まれながらイメージを生起させ、過去と現在、未来が結び合うように息づいている。これもまた、彼女の立体と同様、年月を重ねてくすんだ毛糸などの断片が手芸的に編み込まれ、絡みあい、皮膚移植のように新たな生命力へと時間を引き継いでいる。

 ファウステンさんが作り出す存在は、偶像と呼ぶほどの宗教性、崇高性はなく、むしろ、チープな素材と愛くるしい姿で親しみを抱かせるが、その一方で、ミステリアス、非合理で、神秘的な精霊のような存在である。
 だからだろう、人間の日常の営みとささやかな交わりへ温かなまなざしを注ぎ、身近な人たちから引き継いだ布切れや毛糸を手作業で紡いだ作品である一方、軽やかに全てを包む込むおおらかな自然のような存在でもある。言い換えると、小さな日常の積み重ねと、そこに湧き起こる感情、幸福感こそが人々が生きている生命のかけがえなさだと教えてくれながら、そうした小さな、本当に小さな記憶の断片が、大いなる自然とともにあることを呼び覚ましているのである。

 そうした曰く言い難い存在は、人種、民族、国境、地域など、人間と人間の垣根も、動物と人間、植物と人間の境界も超える。集めた素材をブリコラージュ的に編んでいく手芸的な制作が、まるで自然のように豊穣で、変化に富み、循環するような作品群につながっている。
 動物でもあり、人間でもあり、自然でもあり、人々の生の記憶や日常でもあり、そして普遍的でもある。その作品は、資本主義が行き詰まり、自然環境が破壊され続けている今、人間と自然との関係、人間の原点そのものを問い直す。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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