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アッセンブリッジ・ナゴヤ2019 11月10日まで

 「アッセンブリッジ・ナゴヤ」は、2016年から、名古屋の「港まち」エリアで展開されている音楽と現代美術のフェスティバル。今回は、地下鉄築地口駅から名古屋港駅にかけての地域を会場に、2019年9月7日から11月10日まで開かれている。

 港まちという言い方は、いつの頃から言うようになったのか分からない。以前は、名古屋港ガーデンふ頭のJETTYに「コオジオグラギャラリー」があり、足繁く取材で通った地域だった。少なくとも、当時はこの地域をそう呼ぶことはなかった。コオジオグラギャラリーでは、1990年代、杉本博司、ダグ・エイケン、マーク・フランシス、荒木経惟、フィオナ・レイ、サイモン・パタソン、吉本作次など多くの展覧会を取材した。あるいは、もうなくなってしまった港の倉庫では、「メディアセレクト」(1999年)、「12 Lodgers」(2000年)などの刺激的な展覧会があった。もう20〜25年ほど前のことである。この地域も「名古屋港イタリア村」などの開発と破綻、「ボートピア名古屋」などの荒波にもまれてきた。時代も変わり、世代も大きく変わった。

 今回は、築地口駅近くの「港まちポットラックビル」を中心に、現代美術展「パノラマ庭園—移ろう地図、侵食する風景—」に限って回った。地下鉄築地口で降りて、久しぶりに展覧会のマップを手にガーデンふ島に向かって歩いた。出品作家は、ニューヨーク在住という青崎伸孝さん、小田桐奨さんと中嶋哲矢さんのユニット「L PACK.」、あいちトリエンナーレ2019にも出品した碓井ゆいさん、「パン人間」の路上パフォーマンスなどで知られる大ベテランの折元立身さん、絵画やドローイング、インスタレーションで知られる千葉正也さん、そして筆者自身も面識がある地元の山本高之さん。

 最初に向かったのは、港まちポットラックビル。ここは、1階で、名古屋港ポートビルの展望室から地上を行き交う人を撮影したとみられる青崎さんの映像作品が展示されていた。青崎さんは、エリアの各所に作品を展示しているので、後で触れる。

 2階は、折元さんのパフォーマンスのドキュメント的な展示である。「おばあさんとのランチ」のパフォーマンスの記録写真や映像、ドローイングを展開した。認知症の母親を介護しながら生み出した「アート・ママ」シリーズにもつながり、川崎市や、ブラジル・サンパウロ、英国・リバプール、デンマーク・ケーエ、ポルトガル・エヴォラなど、各地でおばあさんをランチに招待し、折元さんが触れ合う。高齢女性という共通性や、土地固有の背景と文化、それぞれのおばあさんの記憶やキャラクターと、それに丁寧に応じる折元さんの姿がユーモアあふれるタッチで描かれる。そこからにじみ出るのは世界どこでも健気に生きている人たちの生への讃歌である。

 3階は、山本高之さんと、名古屋オリンピック・リサーチ・コレクティブ[N.O.R.C.]のインスタレーションである。もともと、山本さんは2017年から、アートラボあいちで、このプロジェクトを立ち上げた。その後、港まちで活動を引き継いで、五輪や博覧会など都市型の大イベントについて考える場を展開させたという。山本さんはコレクティブの参加者とともに幻の名古屋五輪の資料を収集。賛成・反対両派の運動、会場候補地の平和公園の歴史、挫折後の世界デザイン博覧会や愛・地球博、あいちトリエンナーレなどへの流れを紹介しながら、大型イベントによって、地域の開発、発展を図ろうとする都市のありようを浮かび上がらせる。名古屋五輪が決まった時を想定して印刷した記念乗車券、デザイン博のスタッフユニフォームなども展示。こうした歴史を山本さんの個人史と関係づけるとともに、小学校教諭の経験からか、子供へのアンケートなども実施していて、若年層から年配世代まで幅広い人が考えながら楽しめるように工夫している。

 ポットラックビル近くの旧・岡田ガラス店に展示したのは、碓井ゆいさん。2016年にも、旧・名古屋税関港寮に作品を展示。2018年から、港まちに通って「港まちの女性と労働」についてリサーチし、今回は、1972年に港保育園で園児や保育者の環境を守ろうと起きた「港保育園闘争」に着目した。

 当時の闘争に関わった保育士や保護者、保育研究者の声や資料を集め、当時の運動で掲げられた「保母は消耗品ではありません」などのスローガンやイラストなどを女性の労働を象徴するエプロンにパッチワークや刺繍で縫い付けることで、こうした歴史を現代に連結させ、普遍性の視点から問い直す。港まちの女性を中心に構成される港まち手芸部のメンバーや、当時の港保育園の保育に携わった人と共同制作もしたという。

 介護や保育、育児など、人をケアし育てるという重要な仕事は、社会の中で軽んじられ、とりわけ、それが社会化される以前は、家庭の中で女性が負担するものだとされてきた。保育を巡る制度や環境、思想が現在も多くの課題を抱えていることを想起させずにはおかない展示である。2階には、碓井さんがリサーチした資料や当時の写真、そして、園児のスモックのインスタレーションが展示されている。

 青崎さんは、港まちエリアに約2カ月間滞在。コミュニティーに関わる人々を観察し、社会調査したような生々しい作品をエリア内の数カ所に展開した。すぐ近くに2006年、「ボートピア名古屋」(場外舟券発売場)が開設され、青崎さんの作品にも、独特の雰囲気が漂う。拾い集めた大量のレース券の裏側に競艇を当てるために書かれていた予想や暗号のようなメモ、そこにレースに興じる人たちを青崎さんが即興で描いたドローイング。これらで壁を埋め尽くしたインスタレーションは、なんとも不思議な印象を与える。路上に落ちていた誰かの買い物メモに従って品物を購入し、それらの商品をメモの持ち主のポートレートのように撮影した写真、エリア内の喫茶店のメニューと間取りを書き取ったメモなど、いずれも、誰も見向きもしないディテールの集積から、街の表情、人々の生態と息遣いをリアリティーとともに伝えている。

 「L PACK.」は、アッセンブリッジ・ナゴヤが始まった2016年に、建築家の米澤隆さん、構造家、大工、「空き家再生プロジェクト」の参加者とともに、約20年間にわたり空き家だった元・寿司店を改修し、まちの社交場としての《UCO》をオープン。その後、一帯の長屋が2018年に解体され、《UCO》があった場所を含むエリアが駐車場になったのに伴い、道を挟んだ向かえ側の空き家を、米澤さん、大工、建築を学ぶ学生らと再生し、新たに《NUCO》を始動させた。ガラス扉やカウンターなど、《UCO》から部材を移設。現在は、「L PACK.」と有志でカフェを運営し、さまざまな活動を展開しているという。立地を移動させながらも持続可能性と街の記憶を重視し、街の変化にフレキシブルに対応しながら、街を訪れる人と地域の人たちを結びつけ、新たな価値の創出を目指す姿勢が注目される。

 旧・名古屋税関港寮の全館を立体、インスタレーション、絵画、ドローイング、映像、写真等で構成したのが、千葉正也さんである。非常に大規模で、それぞれを単品で説明しようとすると、大変語りにくい展示である。

 会場に着くと、港寮の1、2階の居室からトイレ、風呂、屋外まで、膨大な作品の展示場所を示したマップを渡される。建物のそこかしこの窓から、《ハート》と題した文字通り木製のハート型の造形が突き出ている。また、大型の扇風機がこれも会場の各所に設置され、風を送り出している。これは《90年代のフレイバーのためのインスタレーション》と題され、扇風機と、香水、立体、ウィッグなどが構成素材となっているが、扇風機以外は、よく分からない。1階ロビースペースの正面にある油彩画《この音も作品に含まれます。》は、それ自体が抽象絵画のような地の上にスツールと自作の背もたれのような角材、スニーカーが描かれている。材質感や絵画空間を巧妙に描き分け、一部に物質性を強調するなど、リアルな空間とイリュージョン、平面性、物質そのものとモチーフの物質感、展示の仮設性と絵画の中の仮設性などが相互陥入しているような不思議な感覚に誘う作品である。このスペースには、ハワイアン音楽のような音響も響いていた。

 この他、部屋やトイレ、風呂場を注意深く歩くと、作品の数は大変多い。多くは、鉛筆やアクリルで描かれたドローイング、絵画、立体、インスタレーション、オブジェや日用品、写真、動画。それぞれは、奇妙きてれつである。

 2階のメーンとも言える展示室は、撮影できない。箱庭のような大きな立体があり、ウッドチップのようなものが敷き詰められた中に、この建物の別の場所をモニタリングしている映像、観葉植物、写真のイメージやオブジェなどが展示してある。千葉さんがもともと、日用品や写真などのイメージ、自作のオブジェなどを配置した仮設的な状況を描く絵画を制作してきたことを考えると、この1、2階の建物全体がそうした状況としてのインスタレーションであることが分かる。

 展示場所の各所に「?」マークのイメージが配置され、それをモニタリングしている映像もある。鑑賞者は、オブジェや立体、絵画、ドローイング、屋外の音源や映像など、おびただしい素材が配置された空間の中に浸ることになる。建物を包む近隣の街、この建物自体、その中の絵画やドローイング、イメージ、オブジェ、インスタレーションが複雑な入れ子構造になりながら、全体が千葉さんの絵画の構想になったインスタレーションであり、見る人(この会場に足を踏み入れた人)が、その錯綜した空間の中、つまりは絵画空間の中にいるような奇妙な感覚にとらわれる作品だった。

碓井ゆい
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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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