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異才 辻晉堂の陶彫「陶芸であらざる」の造形から

 抽象的な陶彫で知られ、ベネチア・ビエンナーレ(1958年)に出品するなど、国際的に活躍した彫刻家、辻晉堂(1910年〜81年)の作品を振り返る展覧会「異才 辻晉堂の陶彫 『陶芸であらざる』の造形から」が愛知県瀬戸市の愛知県陶磁美術館で5月19日から6月21日まで開かれている(当初予定は、4月11日〜5月31日。新型コロナウイルス感染拡大で変更)。

 陶土を素材に、やきものによる立体造形をあえて彫刻として追究した辻晉堂 は、禅の思想に裏付けられた造形思考の下、正面性、平面性を特徴としながら奥行きを感じさせる独自の造形によって抽象的な形態を深めた。

 生誕110周年の記念展。ベネチアへの出品作などの大作から晩年の小品まで、代表作50点以上と、版画、素描をまとめて展示し、とても充実している。辻晉堂の陶彫を大規模に紹介する愛知県では初の展覧会である。
 米子市美術館、美術館「えき」KYOTO、菊池寛実記念智美術館へ巡回。

 辻晉堂は、現在の鳥取県西伯郡伯耆町生まれ。1931年に上京し、当初は、ロダンなどの近代彫刻を学んで木彫の肖像彫刻を日本美術院展に発表。写実的な表現で注目された。
 戦争が激しくなる中で、1943年、故郷の鳥取へ疎開。戦後は、彫刻家、平櫛田中の推薦を受け、京都市立美術専門学校(京都市立芸大)の助教授に就任した。モデルの似姿をそのまま写すことへの疑問を抱く中で、抽象的なイメージによる表現へと傾斜。今展では、全体を6章に分け、写実から独自の抽象的造形へと展開した足跡を余すところなく紹介している。

 副題の「『陶芸であらざる』の造形から」にあるように、同時代の美術の動向から吸収しながら、「陶芸家」でなく「彫刻家」として生きた過程が見て取れるのが興味深い。同時に、それでもなお看取される陶芸作品との類縁性、やきものと彫刻を横断した表現は、「なぜ土を選んだか」「どうして写実から転向したか」「彫刻とは何か」「陶芸とは何か」も考えさせる。このレビューは、そんなことも念頭に、展示構成の流れに沿ってつづりたい。

辻晉堂

序 疎開先の鳥取県・二部から京都へ

 展覧会の冒頭に展示された「眠芳惟安大和尚」(1976年)が、辻晉堂の作品の特徴をよく伝えている。 
 顔は、よく覚えているので写実的、記憶から遠ざかっているからだは簡素に切り詰められた造形である。正面性が強く、平面的。体を板状に構成したことがよく分かり、60年代以降の辻の作品の本質が示されている。

 惟安は、辻晉堂が師と仰いだ曹洞宗の禅僧、岸澤惟安。辻自身、曹洞宗に帰依し、1938年に得度。晉堂と改名している。惟安の言葉「忘れるだけ忘れてしまって、そして残ったものを表はせ」は、終生、辻晉堂の中にあって抽象的な造形思考の核となった。

 彫刻の技術を使いながら、土による立体造形をどうつくるか。素材への態度として、石膏型による成形ではなく、素材の塊を彫るカーヴィングというよりも、可塑性のある粘土をモデリングし、彫りつつ付け加えて、抽象的なイメージを生み出していく。正面性、平面性を特徴としながらも、辻晉堂の作品が側面、裏面など、360度どこからも見られるように、しっかり意識して作り込んであるのは、作品を見ると、すぐに分かる。鑑賞するときは、ぜひ、裏側や側面に回り込んで見てほしい。

1 陶彫の試み

辻晉堂

 モデルをただ写すのではなく、抽象的イメージを立ち上げようとしたとき、木彫に素材としての限界を感じたのだろう。自由度を高めるという意味では、土の可塑性は都合がいい。戦時中、郷里の鳥取に疎開していたとき、辻晉堂は陶芸を学ぶが、陶芸の制作プロセスのルールを嫌がっていたという。陶芸というより、土素材を自由に使いたかったのである。
 戦後の1947年、信楽で最初の陶彫作品を制作した。1949年には、京都市立美術専門学校に赴任。周囲に登り窯が多くあった環境の中、1956年の初個展(東京)では、身の回りのモチーフを抽象化した14点を出品する。

辻晉堂

 禅画の画題となる「寒山拾得」をキュビスムの影響を受けた正面と横向きの顔の合わさった形態に仕上げた「顔(寒拾)」、振り返ったネコの瞬間の動きを抽象化させて捉えた「猫」、極度に抽象化された「犬」など、直線と曲線を使い分け、複雑な中空構造を生みだしている。

 いずれも、形態の抽象化、動きの捉え方、力強くも軽やかさを失わせない空隙の入れ方や、視線が抜ける空間の取り方が見事である。空隙として開かれた穴は、造形的な効果のみならず、焼成時の割れを防ぐなど、空気抜きの役割もあった。表面から視線を内へと誘い、内なる空間と奥行きを感じさせる構造は、以後も一貫したテーマとなって洗練されていく。

辻晉堂

2 第29回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品された大型の陶彫

 その後、評価を得て、ベネチア・ビエンナーレ(1958年)の日本の出品作家に抜擢される。作品は、タタラ成形で制作。ベネチアで展示した大型作品7点(6点が現存)のうち、今回は5点が展示された。ちなみに、このときのビエンナーレのコミッショナーは瀧口修造であった。
 海外の国際展に出品するとあって、作品が一気に大型化。フォルムを強調するとともに、素材の力強さ、荒々しい土の物質感を出すために、表面に線による傷や痕跡、模様が付けてあるのも特徴である。

辻晉堂

 この中には、「沈黙」などに見られるように、幾何学的形態によって人の顔を連想されながらも、テーマそのものが抽象化した作品も見られる。「寒山」は、禅画などに取り上げられる中国唐代の伝説上の詩僧で、両手で経巻を広げている。対として作られた「拾得」は、へら跡が縦横に刻まれ、衣服の質感を表現。力強い造形の中で、一部はベンガラで着色されている。

3 扁平な陶彫の出現

辻晉堂

  1960年代に入ると、焼成道具のさや鉢や鉄、ガイシなどの廃品を粘土と一緒に積み上げたアッサンブラージュ の作品や、 壁のような扁平な陶彫が制作される。

 さや鉢や鉄、ガイシを組み合わせたアッサンブラージュ のミクストメディア作品「詰込教育を受けた子供」など、現代美術の動向を意識した作品は、社会批評性も伴っている。

 また、扁平な壁状の作品は、 ビエンナーレなどで大型作品を制作する中で、外に張り出した形が崩れやすいなど合理的でないことに気づいたことが契機になった。大きく出張った形状をなくし、扁平にすることで、立体感や奥行きを別の方法で追究することが課題となった。

辻晉堂

 「樵夫と熊」など、この頃の作品では、表面に穴をあけ、やきものの空洞性を利用し、そこから奥の暗闇へと視線を促すことで奥行きを意識させようとした。その形態、表面、空間性は自然のように豊かで、プリミティブな印象を放つ。

辻晉堂

 写実的な骨格や肉付き、動きによって生命感を表すのではなく、薄っぺらい壁のような構造の、やきものとしての空洞をあえて意識させて、大きく、奥行きのある立体に見せる。
 穴を穿つことで、奥へと通じる内部の暗闇を知覚させて立体感を感じさせる。壁状の立体は、例えば3層構造の空洞になっている。表と裏から穴が穿たれているが、貫通はしていないので、内部空間は暗くなる。このやきものゆえの内部の空洞の暗い空間が奥行きを感じさせるのである。

辻晉堂

 平面で構成した「目と鼻の先の距離について」は、とてもユニークな作品である。「目と鼻の先」は、近い距離のたとえだが、この作品では、正面から見ると近くに見える目と鼻の先が、横から見ると、ものすごく離れている。ユーモラスである一方、平面性による構築、正面性という辻晉堂の作品の特質が顕著に現れている作品でもある。

 技法というプロセスよりも、生まれる形を重視したとしても、陶土を扱う以上、そこに陶芸的なプロセスの性質が現れるのもまた事実である。1960年代の作品などでは、タタラ成形や紐づくりなど、陶芸の合理的な方法も取り入れている。

辻晉堂

4 登り窯から電気窯へ

辻晉堂

  1960年代も後半になると、大気汚染問題で、辻晉堂が好んだ登り窯への規制が厳しくなり、辻も電気窯へ転換。作品は小型化し、モチーフは身辺雑記風となる。こうした作品を、自身も「粘土細工」と呼んでいたそうで、自分自身や身近な人、物などをモチーフにユーモアあふれる作品群が生まれた。空き缶という内部に空洞を持つモチーフをやきものの空洞性につなげ、あえて潰した空き缶を平面的に表現した作品など、一貫した制作を追究しながら、ユーモアも忘れていないのが大変魅力的である。


落語や歌舞伎、横山大観などの尊敬する人物、友人像などのほか、山盛りごはん、「カラカサのおばけ」など、ユーモラスな作品が続く。イサムノグチの勧めで訪れた米国タオス・プエブロのネイティブアメリカンの集落をモチーフにした作品も一角に展示されていた。

  このセクションは、「5の素描・版画」と併置されながら、数多くの作品が並べられている。晩年の作品など、まさに「粘土細工」というべき作品が多く、評価は分かれるというが、筆者は、老境にあって悠々と飄逸な表現を楽しんでいる作品に人生が見えて、とても好きである。

辻晉堂
辻晉堂

5 素描・版画

辻晉堂

 素描、版画が数多く展示されている。同時代の陶彫作品と連動した作品がある一方、版画そのものの表現として制作されたものもある。1962年頃から、大学でも版画教育を推進し、木版画、銅版画、石版画をカリキュラムに組み込んだという。

 セクションの構成上、最後が素描、版画となっているが、実際の展示は、「4 登り窯から電気窯へ」の多彩な作品が続き、ユーモアあふれる老境の「自画像」で大団円を迎える。

 猫など身の回りの事物の抽象的イメージから、同時代美術のトレンドも意識した大型作品、あるいは、他の素材や廃品も用いたアッサンブラージュ 、粘土板を重ねたような扁平な層構造の立体へと展開。最後は、「粘土細工」と呼ぶ愛嬌に満ちたオブジェで締め括られる。
 特徴的なのは、イメージの抽象化と平面構成による造形、ボリュームを抑えながら奥行きを意識させる独自の扁平な形態と正面性である。
 展覧会の冒頭の作品「眠芳惟安大和尚」(1976年)の岸澤惟安の言葉「忘れるだけ忘れてしまって、そして残ったものを表はせ」が最後まで響く、見応えのある展覧会である。そして、筆者としては、あらためて彫刻と陶芸について考えさせられた展示でもあった。

辻晋堂
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