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日野田崇展「Something/Anything?」ガレリアフィナルテ(名古屋)で【第1期】2025年9月23日-10月18日、【第2期】2025年10月28日-11月22日に開催

ガレリア フィナルテ(名古屋) 第1期: 9月23日-10月18日
第2期:10月28日-11月22日

日野田崇

 日野田崇さんは1968年、神戸市生まれ。2020年のフィナルテでの個展「吼える手色形楽」レビューも参照。

 日野田さんの陶芸作品は、陶芸という枠組みを超えたものである。さまざまな要素が混入し、なかなか説明し難い印象である。時代性、饒舌さ、ドラマ性、作品と空間のグルーブ感、メタモルフォーゼ⋯。

 人物や動物の形態、幾何学形が入り組み、融合、変形した複雑な形、そして、その形態を覆う過剰なグラフィティ、目まぐるしい速度感。

 近年、日野田さんは、音楽的な発想をベースにした「手色形楽(しゅしきけいがく)」という造語で自身の作品を説明する。

 筆者なりに考えると、現代の世界、社会を反映し、身体という器が受容する、都市文化で消費される情報、無意識的に展開する夢の中のイメージなど、多様なものから影響を受けつつ、それらの見えない流れを、具体的な線、色や形として見る者に感覚的な喜びを与えるものに展開する、といえばいいだろうか。

 実際、日野田さんは、日本、欧米の美術、音楽、数々の作家、歴史、サブカルチャー、現代の消費構造、社会心理、葛藤など実に多くのものを吸収している。

 山田光さん、柳原睦夫さん、林康夫さんなど、四耕会や走泥社など前衛系の作家、フランシス・ベーコン、フィリップ・ガストン、ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイス、ジェフ・クーンズ、ラリ・ピットマン、バリー・マッギーら海外の作家群。

 日本の特撮やアニメーション、大津絵、街中のグラフィティ、アメリカのイラストやコミックス、スティーブ・ライヒや、パット・メセニー、トッド・ラングレン、ウェザー・リポート、ブラジル音楽など。

 今回は、第1期: 9月23日-10月18日、第2期:10月28日-11月22日に分けて、全く異なるイメージの作品を展開した。

Something/Anything?

 第1期は、黒っぽい地に薄い褐色の色絵が描かれた、比較的な小さなサイズの作品である。

 一部に色絵がない作品もあるが、いずれも光沢が強く、複数の要素が絡み合って融合したような形態と絵の関係が興味深い作品群である。

 以前から見知っている作品から、表面のグラフィティ、色彩による過剰な情報量とポップな姿が消え、落ち着いた姿を見せている。

 溢れんばかりの色や情報が抑えられ、モノクロームに近い姿になったことから、形態の面白さが際立ち、シンプルながら、確かな造形力と生き生きとした動感に引き込まれる。

 筆者は日野田さんの今回の作品を見ることで、これまでの作品の印象が一変した。

 つまり、以前は、形に合わせて絵付けした、形とグラフィティが一体になったものとして見ていたのが、形と表面の絵、色彩の自律性、それらの関係性の差異、ズレこそ見るべきではないかと思うようになった。

 第2期の作品を見ることで一層、その魅力に掻き立てられることになった。以前は、構想された作品計画があって、グラフィティの絵は形に与えられたものだという印象があった。

 しかし、第1期の作品を見ることで、日野田さんの作品は、絵や色彩を押さえた形の特異性にこそ本源的な力があることが強く意識されたのだ。

 そして、おおよその全体イメージはあるにせよ、単に形に絵付け、色付けをするということではなく、ある種、手捻りによる形態と、上絵のグラフィティ・イメージ、色彩の変化が独立して自律しつつ、重ね合わされることで、互いに牽制しながら、その緊張感によって、言い知れぬ現代性が感覚として鑑賞者に迫ってくるということだ。

 つまり、単に固定した作家のメッセージを表したイメージということでも、単純に絵付けされた立体ということでもない。

 形態とその動感が自律し、絵、色彩も自律し、それらが融合しつつ、微妙な不均衡をはらむことで複雑に化学反応を起こして、日野田さんならではの現代の世界像そのものを創造するような作品なのではないだろうか。

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