日動画廊名古屋 2025年11月10〜22日
森川美紀
森川美紀さんは1963年、愛知県生まれ。1988年、愛知県立芸術大学卒業。1990年、愛知県立芸術大学大学院修了。
2000年に清須市はるひ美術館で個展を開催。2003年、VOCA展2003に出品。同年、第3回夢広場はるひ絵画ビエンナーレで大賞を受賞した。
名古屋では伽藍洞ギャラリーで個展を開いていたが、同画廊の閉廊後、ガレリアフィナルテなどに場所を移している。日動画廊での個展は初めて。2023年のガレリアフィナルテでの個展レビューも参照。

インド、ネパールなどアジアを題材に風景、記憶を探究した絵画空間をつくっている。画面はレイヤーが重なり合うように描かれているが、それらは現実の風景をそのまま再現したものではない。
色面と形、線が拮抗する画面から、絵画空間と記憶へと関心が移り、曖昧ゆえに美しい記憶の断片がたゆとうような世界へと向かった。
今回は、2年ぶりの個展。そうした転換点となった2014年のモノトーン作品を起点に、2025年の新作、近作を展示している。
ー旅の空ー
「マルセル・プルースト」の長編小説「失われた時を求めて」に書かれた有名な場面、マドレーヌを紅茶に浸した際の匂いから、幼少時の記憶が不意に湧き起こるように、何かをきっかけに浮かんでは消える記憶や情景の断片が折り重なるように描かれている。

森川さんの制作は、自分がかつて目撃した風景を再現することでも、イメージに明瞭な遠近感と形、色を与え、フィクションを構成することでもない。
漂うような記憶の中へ、今の自分、そして鑑賞者が入っていけるような、過去の美的な経験と現在とが往還する絵画空間を、生きていることの現在性として成立させることである。
とらえどころのない、曖昧な、雲の流れ、こころのうつろいのような空間。モチーフは、ネパールのヒマラヤ山中の村、南インド・ケララ州の水郷地帯の船の景色、台湾の台南・安平の風景などである。
森川さんの絵画では、船や家の風景とともに、家の壁の風抜きや、窓飾り、バルコニーの手すりの模様が大きく描かれ、漂流するような絵画空間は遠近感にとらわれることがない。

礬水引きした綿布に油絵具で描いた作品や、紙に墨、水彩、蜜蝋で描いた作品がある。
前後の遠近法的な空間感覚は失われ、手前の存在がぼやけ、逆に奥のイメージが明瞭になるとともに、予期せず、遠くの家が手前に白抜きの手法で力強く現れ、近くのものが遠ざかって見える。
薄く塗られた半透明なレイヤーがあれば、強いレイヤーもある。家が手前に、遠くにと動いているような感覚の中で、レイヤーが錯綜し、それらの層が溶け合っていく。
全体の空間が揺らぎ、横方向に延びる水平性のような層の重なりや、逆に縦方向のカーテンのような層も確認できる。

これらの緩やかな層構造や、浮遊する家の風抜きや、窓飾り、バルコニーの手すり模様は、鑑賞者の眼差しが空間を移動するパサージュの役割を果たす。鑑者は、そうした層の隙間から奥をのぞき、遊歩するように絵画空間に入っていく。
層から層へと絵画空間をさまよい、そして不意に手前に戻される。それは、森川さんが記憶の断片を重ねていった、その心地よい空間を共有していくような経験である。
ヒマラヤ山中の村にせよ、南インドの水郷地帯にせよ、遠い記憶の風景であり、今は風景も一変しているだろう。つまり、すでにこの世に存在しない風景だ。森川さんの絵を見て思うのは、うつろい、消えていく風景、その無常、無我の感覚、時間や記憶、空間が溶け合って、人間の言葉、概念を超えていく感覚である。

森川さんによると、作品を愛知・長久手市文化の家に展示したとき、認知症の高齢女性が時間を忘れるように長時間、作品を見てくれたという。こんな推測も成り立つ。
この高齢女性は、近くも遠くも、さまざまな区別、言葉や概念、自分と世界という主客、分析的な二元論を超えた、ありのままの根源的なものに惹かれたのではないか。
私たちもまた、この絵の中を静かに散策する。過去から現在、未来へ、そして現在から過去へ。想起のレイヤーの繊細さが溶け合うような空間を歩きながら、豊かな流れ、時間とともに生きることができる。