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やなぎみわ 展「神話機械」静岡県立美術館

 1990年代から、現代美術と演劇を往還しながら活躍してきた美術家、やなぎみわさん(1967年生まれ)の約10年ぶりとなる大規模な個展「神話機械」が2019年12月10日から2020年2月24日まで、静岡県立美術館(静岡市)で開かれている。高松市美術館、アーツ前橋、福島県立美術館、神奈川県民ホールギャラリーを巡回し、静岡が最後となる。本展では、2010年に本格的に始めた演劇プロジェクトの最新形であるマシンによる新作の無人劇「神話世界」が展示され、福島県の果樹園で撮影された新作の大型写真シリーズも国内で初めてまとまったかたちで紹介された。

 「神話世界」の上演は約15分間で原則、午前11時、午後2時、4時の1日3回。2020年1月13日に、やなぎさんのアーティスト・トーク、同26日に 木下直之館長とやなぎさんの対談「やなぎみわとは誰か?」 がある。

やなぎみわ


 やなぎさんは、1993年から制作した「エレベーター・ガール」で注目され、「マイ・グランドマザーズ」「フェアリー・テール」などの写真作品のシリーズで評価を受けた。2009年には、第53回ベネチア・ビエンナーレの日本館代表に選出。2010年の演劇への本格的な進出後は、大正時代の新興芸術運動を描いた「1924」三部作で話題を集め、ステージ・トレーラーによる野外劇「日輪の翼」を各地で展開するなど美術、演劇の両面にわたって精力的に活動してきた。

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 展示会場の最初にあるのが、アートと機械が融合した4台のマシンで構成される「神話機械」である。展示としても見られるが、1日3回の上演を見逃さないでほしい。それぞれのマシーンは、ギリシャ神話の文芸を司る女神から名前が付けられた。「古事記」やギリシャ悲劇、シェイクスピア の「ハムレット」、さらには、「ハムレット」を基にしたドイツのハイナー・ミュラーの前衛演劇「ハムレット・マシーン」の要素が重層的に組み込まれている。

 4台のマシンは、《俳優》のように動く。メインマシンの「タレイア」は、白いランの花を開花させ、床の上を動きながら、光や音響とともに「わたしはハムレット」「わたしはヘラクレス」などと台詞を発する。「ムネーメー」《投擲マシン》は、台の上に粘土で作られた髑髏が並び、一定間隔で、アームの先に髑髏を載せては壁に向かって投げつけ、髑髏を粉砕する。マルセル・デュシャンの「瓶乾燥機」を連想させる「テルプシコラー」が光を発しながら打ち震えるように喝采。床の上では、手足の格好をした「メルポメネー」がのたうちまわるように動きだす。

 人間が不在の中で、4台の機械の《俳優》が絡み合い、近未来のディストピアのような風景を出現させる。生と死、運命と意志、喜びと苦悩、永遠と刹那など人間的なるものが荒涼とした中で演じられる。それは、人間の不在という恐ろしい世界での逆説的な人間の痕跡でもある。作品は、移動できる小型の無人劇場「モバイル・シアター・プロジェクト」として、構想。不特定の場所を劇場空間に変えようという企てである。

 背景には、1920年代、バウハウスの校長で建築家だったヴァルター・グロピウスが計画した「トータル・シアター」という劇場機械と、そこから現代につながるコンピューター制御の劇場機構がある。高松市美術館の毛利直子学芸員によるカタログのエッセイによると、他にも、古代ギリシャ演劇の演出法の一つ、「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」や、未来派、ロシア・アヴァンギャルド、あるいは、近年のアンドロイド演劇に至るまで、機械演劇の夢は古来、潰えることはなかった。

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 「神話機械」には、関連の映像作品「桃を投げる」がある。男が獣のように振る舞い、闇を進む姿が、頭に取り付けたカメラによって下半身と地面を中心に映される。やがて桃がこちら側に向かって投げられると、それを手に取り、ジャグリングのように桃を動かした後、貪り食う。パフォーマーは、コンテンポラリー・サーカスの世界で注目される渡邉尚。ダンスとジャグリングの境界で見せる驚異的な身体能力のパフォーマンスで知られる。この世と死後の世界をつなぐ境界をイメージした映像で、展示の後半に現れる大型の新作作写真シリーズ「女神と男神が桃の木の下で別れる」へと通じる構成だ。写真シリーズといっても、インスタレーションといっていい空間への展開。薄暗い広い部屋を囲むように大型の写真が展示され、異界へと迷い込んだ感がある。

 写真は、福島県内の果樹園で、大型カメラの「8×10」を使って、枝振りのいい桃の老木を夜間撮影。暗闇の中、桃の老木の艶かしい姿にスポットライトが当たるように撮影され、闇と光の混じりあう混沌の中にエロティックな桃が浮かび上がる。モチーフは、日本神話でイザナギが死の国から戻る途中、黄泉平坂で桃の実を投げてイザナミを追い払って生の世界に戻る場面。死の影を宿す空間の中で、桃は、死を追い払い、生を呼び寄せる果実であり、生命力と呪力を象徴する。ここは、生と死を分かち、不穏でありながら豊穣さも映し出す始原的な空間、「神話機械」で投擲マシンが、死の象徴である髑髏を壁に投げつけた未来の光景に対し、生の象徴である桃を投げつけた古代の神話世界が空間化された境界。ただ、「神話機械」の髑髏の後ろには桃のような割れ目があって、生と死のイメージが重ねられるなど図式的ではない。複雑な亀裂と陰影、ねじれた物語性をはらんだ空間である。

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 やなぎさんの代表的シリーズである「エレベーター・ガール」も展示。洗練されながらも規格化された制服姿の女性たちがマネキン、あるいはアンドロイドのように閉塞感や気怠さとともに空間に配され、高度資本主義社会を映し出している。 「マイ・グランドマザーズ」 の連作では、公募モデルに「50年後の理想の自分」をイメージしてもらい、その老女像を特殊メイクとCGでビジュアル化。「フェアリー・テール」は、世界各地の寓話、説話、ガルシア・マルケスの小説など、老女と少女が登場する物語を基に制作され、マスクを付けた少女たちが老女と少女の役割を入れ替えながら、密室劇を繰り広げる。

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 光と闇が混じりあい、桃が強烈な印象を放つ異界。妖しい雰囲気をたたえた新作写真「女神と男神が桃の木の下で別れる」からは、生と死のあわいの雰囲気が匂いたつ。人間中心の世界が行き詰まりを見せる中、人間が不在となって、機械が人間の痕跡を伝えるディストピア的な世界「神話機械」と比べると、人間と世界の古層に沈潜するように生と死の境界を体験させる創世記的な空間が際立っている。生死を巡る未来の人間不在と、人間が生まれた淵源を結び合わせるような展示が見事である。

 気候変動や環境破壊による生態系への影響、人工知能やバイオテクノロジー、グローバルな欲望、金融資本主義と民主主義の限界等によって、現代の人間システムと世界が臨界点に達し、崩壊の予兆に思いが及ぶ中、人間中心の価値観、知の体系、人間の存在のあり方が問いなおされている。古代神話と未来神話を往還するやなぎさんの作品世界は、人類創生から未来という長い時間の中で、新たな人間像、死生観と哲学、倫理を問いかけているように思えた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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