加藤栄三・東一記念美術館(岐阜市) 2025年4月15日〜7月6日
久野利博
久野利博さんは1948年、愛知県大府市生まれ。名古屋造形芸術短期大学彫塑コース専攻科修了。名古屋芸術大学名誉教授。
主な展覧会は、「セブンアーチスツー今日の日本美術展」(米国など、1991-92年)、「〝環流〟日韓現代美術展」(名古屋市美術館・愛知県美術館、1995年)、第1回光州ビエンナーレ(韓国、1995年)、第24回サンパウロビエンナーレ(ブラジル、1998年)、日本現代美術展(オランダ・クレラー=ミュラー美術館、2001年)。
久野さんは、器、壺、甕、お玉、縁台などの日常的な道具や家具、祭壇などを想起させる場や、お茶、米、塩、灰などの素材を使ったインスタレーションの作家である。

筆者は、1990年代から作品を見ていて、国別日本代表を務めた98年のサンパウロビエンナーレでは、コミッショナーを務めた山脇一夫さん(当時・名古屋市美術館)らとともにサンパウロを取材で訪れている。
今回は、吉村順三が設計した加藤栄三・東一記念美術館の空間に合わせ、中庭を囲むように構成された展示室に作品を展開していった。
久野さんの作品では、普段の生活で何気なく使われている道具などから派生した物、素材が空間に配置される。それは民藝の美に近い感覚へと誘う。

同時に、1980年代、欧米の都市で自身の身体を風景の中に置いて撮影した概念的な作品「BODY DISTANCE」にも見られる通り、これらのインスタレーションは、身体的サイズと関係する距離、間合いや空間性を意識させる。
通常、生活、日常の中では意識化されな風景、衣食住に関わる物、素材がリンケージしていく中で、身体との関わり、間合い、空間性の中で立ち現れる場によって、連続性、部分と全体性、美しさの感覚をいかに抽出できるかを深く探求している。
日本の伝統と美意識、生活、身体性に根差しながら、現代美術のインスタレーション形式で新たな普遍的な空間性を立ち上げるのだともいえる。
立ち現われる空間
会場に入ると、1970-80年代の展覧会資料や、80年代の写真の作品「BODY DISTANCE」のシリーズなどが導入部にある。

1979年の大阪府民ギャラリーでの「美術の近似値」展関連資料や、1986年に久野さんが名古屋市芸術奨励賞を受賞したときの、美術評論家、中村英樹さんの祝辞の手書き原稿(本人はインド・トリエンナーレのコミッショナーのためインド渡航中で授賞式欠席)などである。
これらの展示は、その後の久野さんのインスタレーション作品を見る上で、前段階を知ることができ、貴重である。
壁に等間隔で据えられた「お玉」や、床に設置した木台に載った大理石の碗と米などが空間に展開する。タオル掛けを想起させる部分など、生活感が出た部分がある一方で、壁際の八足台の上に自然石が載った部分のように、神棚やハレ(儀式)の供物台を思わせる展示もある。

もともと、久野さんの展示では、米、塩などなどが神饌と共通する素材が使われるのも特徴。ハレ(非日常)とケ(日常)、生活と芸術が融合しつつ変奏されながら、連続、非連続な展開をしながら、空間をつくっていく。
それは、日常的、あるいは非日常的でありながら、人間の世界をそのまま再現したものではなく、微妙なズレを伴っていて、決して、ただ芸術であるとしか言えない空間である。
久野さんは、そこに強く主張するのではなく、記憶と触れ合うような、ほのかに立ち上がる不可視の力が静謐な中に現れるのを企図している。

さらに歩みを進めると、タオル掛け、ガラス容器、ベンチ、バケツ、ロープ、梯子、ブリキの雨樋、木枡、骨壷、ブロンズの甕などが、間合いをあけて設置され、岩塩や茶葉、灰、炭が盛られていたりする。
既製品なのか、民具、道具に似せて製作したのか、あるいは、明らかに本来の用途が分かるもの、用途が不明のものが交ざりながら、それでいて、各々が美しく、静かに存在している。
実は、この会場は、小さな中庭を囲むようにできていて、その庭にも作品がある。つまり、これらのひとつづきの流れが、円環を成すように構成されている。

鑑賞者は、そこを歩くことで、物や空間の美しさ、以前の写真の作品にあるように、作家の身体性(存在)が世界に触れ合うような繊細な感覚で設置した場に、自らの身体性、間合い、呼吸、感覚を触れ合わせるように導かれる。
さりげなく、無造作に置かれ、あるいは、間合いを持って配された民具あるいは自然物は、
衣食住におけるハレとケという聖俗をつなぎながら、日本人の世界観、美意識、伝統を、研ぎ澄まされた抽象的な空間として提示される。
久野さんは、生活と芸術との間に架橋し、人間の記憶と生の営み、歴史と触れ合う、身体的、感覚的、普遍的な空間によって、日本人が基本にしてきた素材そのものが持つ用の美、あるいは自然素材の簡素で枯淡な世界、美しさ、繊細さ、神秘を開示してくれる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)