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観光地化する美術館

 本稿は芸術批評誌「REAR」(2009年の20号)に掲載された。

 個々の展覧会による動員の多寡だけではなく、市民や観光客を引き寄せる集客/交流/観光施設としての美術館の成否が問われるようになってきた。金沢21世紀美術館(石川県)はそうした成功例の一つであろうし、新しいところでは十和田市現代美術館(青森県)を挙げる向きも多い。こうした美術館では、その吸引力の源泉が、欧米の有名美術館にみられるような権威や有名絵画のコレクション群ではなく、建築や周辺環境を含めたサイトであること、作品の中心が現代美術であることが特徴だと言える。
文化ツーリズムの成功として一頭地を抜くベネッセアートサイト直島はその顕著な例だろう。公立美術館でも、美術館の管轄が教育委員会(教育庁)から首長(知事部局など)に移管され、主たる目的が組織上も、作品の収集、調査研究、展示・教育普及から、都市開発や地域振興、まちおこしにシフトされることがある。金沢や十和田では、展示空間が閉じたホワイトキューブから、美術館の外延化による開放系ともいうべきものに近づき、コミッションワークや作品のインテリアへの一体化をも媒介に、都市や環境、人の流れに親和的に溶け込むことが企図されている。美術館そのものの広場化、街路化が進んでいるのだ。
もっとはっきりとまちへと飛び出してしまう試み、すなわち、「カフェ・イン水戸」や「金沢アートプラットホーム」はじめ、国内各地で乱立するまちなかアート展、ミュンスター彫刻プロジェクトを模範とする、美術館を都市に拡張したオリエンテーリング型美術展は、日常への介入と人々とのコミュニケーションを惹起する企てだとしても、皮肉を込めれば、展示のお祭り化、イベント化への強迫観念的な欲望を街歩きの形で素直に表現しているともいえ、多くは既視感を伴うほどに通俗化に近づきつつある。作品との対話、批判的思考が減殺されているケースも少なくない。もちろん、まちなかアート展も大小さまざまで、オルタナティブな姿勢での実験的な試みもあるだろう。ただかつてのゲリラ的な介入は息をひそめ、あらかじめ予定調和的に行政や商店街、コミュニティー、NPO、アーティストが協働するお墨付きものが主流となったのは、否めない。その効果が社会への「絆創膏」程度の微温的なお祭りに終わっているイベントも少なくないはずだ。
モダニズムの牙城である美術館を流動化させる趨勢は、社会全体がイベント化する時代相貌と言えるかもしれない。社会学者アンソニー・ギデンズらが提唱する、現代を再帰的近代社会とみる考えでは、社会の既存ルール自体が継続的に修正を受け、それ自体が再帰的に問い直されていくとする。それぞれに発展してきた市場と公共性(日本で言えば、それは『公』というより『官』かもしれないが)の領域は今、互いに浸透し合い、境界が曖昧になっており、公的な領域でさえ、お祭りやイベントのようなその場限りのものが増えざるをえないのが現状だ(注1)。「今」の状況に絶えず影響され、目まぐるしく循環、消費されるこうした風潮が「過去」を忘れ、短期的な「次」しか見ないとすると、美術館のアイデンティティーも、グローバルな市場化や、財政などの行政の圧力、イベント主義に揺さぶられかねない。美術館も新たな公共性への議論と実践を通して自らを律し、創造し直すことが求められるのだが、漂流し衰弱する危険性も否定できない。そうならないために、担保されるべきことは何なのだろう。
絶えざる相対化が好ましいわけではないにしても、美術館が自らと対峙し、その変革の姿勢を継続しなければならない状況にあるのは間違いない。その意味で、建畠晢氏がいう、本質を変えずに流動的、融通無碍なものを組み込んでいくフレキシビリティのシステム化は確かに妥当性を帯びる(注2)。もっとも、常にテーマや物語を設定し続け、市場を開拓しなければ、観光客を誘致できないという社会全体のディズニー化がはびこる今、美術館が向かいつつある先もまた、エンターテイメント化だとすると、どう折り合いをつければいいのか。流行語のように使われ出した「創造都市」も、美術館など文化施設のエンターテイメント化に、疲弊した地方の振興や市街地の再生を委ね、観光や経済効果に役立つ芸術、手段としての文化産業という文脈だけで語られると、ドグマになってしまう。
文化施設を取り巻く環境は、一九八五年に始まった「ヨーロッパ文化首都」の変化に典型的に見られている。当初は、文化的、芸術的な目的で開かれてきたこの事業も、一九九〇年のグラスゴーでは、「都市再生モデル」として都市活性化への文化施設の役割、機能が注目され、さらに九三年のアントワープからは、「社会経済モデル」に移行してきたという(注3)。都市再生や経済効果に寄与した美術館として、よく挙がるグッゲンハイム美術館ビルバオもそうした顕著な例であろう。文化を都市の再生や活性化の側面から押し出すという創造都市に、多少なりとも違和感を覚えるのは、そうした主張をなす論陣が専ら経済論理と合理化、政治の側からだけなされるからだろう。
創造都市を唱道するのは、横浜市などの自治体や都市経済学者、コンサルタントなどであって、文化や芸術の真の受容者らは、芸術文化の道具化による開発より、小さくても質の高い活動を続ける画廊やミニシアター、劇場、ホールの活動を大切に思う。経済や都市再生、観光に貢献する美術館の設置や運営、文化イベントが、政治、経済合理の思惑のみで上から下へとなされ、かえって官僚的に硬直した設計主義に陥る事態が危惧される。
筆者は中日新聞文化部記者をしていた二〇〇一年三月、その年の一月にオープンしたばかりの「せんだいメディアテーク」(仙台市)を取材し、複合型文化施設の展開について記事にしたことがある。一九九二年オープンの愛知芸術文化センター(名古屋・栄)にも言えることだが、複合型施設は、モダニズムの中でジャンルに分断された美術、演劇、ダンス、音楽など諸ジャンルを再び結びつけ、交通を促す狙いももつ。出合いと偶然性、融合を喚起し、市民の参加を誘いながら創発的な機会を提供する場。芸術表現の広がりやアーティストの果敢な挑戦、プロジェクトや市民参加のワークショップ、NPO(民間非営利団体)やオルタナティブな存在との連携等に応じるべく、文化施設は、持続的な実験な場としての再提議、国際性と地域全体の可能性を結ぶ構想力を必要とするはずである。
ところが、もともとそうした潜在力を持っていたはず愛知芸術文化センターは次第に、その可能性を?奪され、単なる劇場、ホール、美術館、ギャラリーの旧態依然の閉じた「同居」に過ぎない状況に陥りつつあるように見える。行政は、一時的なコスト削減とインパクトしか考えないが、文化施設の持続可能性は、その体力を削ぎ、イベントだけを近視眼的にぶち上げることからは保障されえない。
文化施設の運用、その社会公益性を考えると、それはガバナンスの問題に行き着くだろう。美術館のガバナンスも今や、国や県、市など公的機関だけでなく、アーティストや観客、大学、NPO、企業、ボランティア、画廊、オルタナティブスペース、メディアや批評など、多様なステークホルダーの支援や責任、それらの網の目の中に複雑に存在する。それは、「官=抑圧」から「民=自由」へ、というシンプルなものではない。美術館はかつてなく、時にやっかいな消費者の声や市場原理にさらされており、イベント性の強い側に押し流される危険と常に隣り合わせだ。ガバナンスや政治的な在り方は入り組んでおり、芸術のクオリティと自由を確保するための、自律的、主体的な運営は容易でないのだ。
官僚機構は、文化予算を削減するだけでなく、アーティストの私性の力や専門性を軽くみて、大衆性や市場原理、市民(消費者)主権にとらわれがちだが、こうした外部性(素人性)に引っ張られすぎると、専門的情報と非対称を生じ、美術館の本質にも歪みをきたす。こうした場合、例えば、「お客さんが多ければ成功」「美術館は市民ギャラリーに」「劇場は地域のお年寄りのカラオケ大会の場に」となってしまう。これは極端な、しかし現実に見られる一断面であり、幅広い観客層の支持、社会への貢献や市場の要求に合致した観光地化がすべて望ましいとなると、文化施設は娯楽産業へと変質し、学芸員は不要で、文化施設は素人でも運営できる、となるだろう。こうした外部性依存のガバナンスが陥る破綻を放置すると、「成功=観客動員」という価値観に支配され、「認知され評価されるものは重ねて評価され、認知されないものはますます認知されなくなる」(注4)。調査研究に基づく提案、知られていない新しい挑戦、マイノリティの企画はできなくなり、美術館は動員が見込めるピカソ展、モネ展、エジプト展の繰り返しになる。地方では(名古屋市のような大都会でも)頻繁に起こっている事態だ。
文化施設の担うべき理念をいうとき、それは、柄谷行人がカントから導き出した統整的理念のようなものであるべきであって、遠い未来の高い目標に向かって、絶えず現状を批判しながら進む漸進主義でなければならないのだ(注5)。重要なのは、この外部性へのアカウンタビリティにしっかり応じながらも、文化と芸術の公共性の理念を、公と民(NPOやボランティアなど)との水平連携、協働の在り方から構築し直し、芸術と社会の在り方を変革することで、都市文化の先駆性を切りひらくことだ。官僚機構は、新自由主義的な流れにあって、地道な活動よりイベントによる集客ばかりに関心を向ける傾向が強いが、一時的に巨大資本を投下する巨大イベント・国際展をなしえたとしても、それだけでは逆に文化力は持続せず蓄積もされない。
持続的な変革を通じ、アーティストと芸術や文化の人材、諸グループを支援し、それらの水平的ネットワークを形成させ、時にはそれらとの協働によって新たな挑戦を続ける文化施設。そうして、多種多様な価値観のプラットフォームを創出し、そうすることで社会と文化、そして自らを問い続けていく試み。創造的な力を育て、その連携された全体空間を持続的に発展させる装置として機能し、それらが開かれ、交渉しながら公共圏を練り上げていくような構想が期待される。
地域の文化資源や歴史、特性や時代の変化を吟味し、理念やビジョンが提示されるとき、それが美術館を観光地化しよう、アートイベントで地域振興を図ろうというだけなら、その持続性、将来性は怪しいだろう。文化施設の観光地化やアートイベントもアーティストに活躍の場を与え、まちを再生し、コミュニティーを活性化するなら、大いに結構。だが、揺るがない芸術と人間、コミュニティーのあるべき姿をはるか遠方に見据え、前に進み続ける一貫性をも忘れないでほしいものだ。

注1 中西眞知子『再帰的近代社会』(ナカニシヤ出版、2007年)
注2 『金沢21世紀美術館研究紀要』「美術館−緩慢なる市民革命の場」建畠晢インタビュー 聞き手不動美里 2007年
注3 『文化施設の近未来 アートにおける公共性をめぐって』 美山良夫「文化施設の今後—公共理念の再定義にむけて−」(慶応義塾大学アート・センター、2007年)
注4 美山良夫・前掲書
注5 柄谷行人『世界共和国へ−資本=ネーション=国家を超えて』(岩波新書、2006年)など。
ほかに、現代の民主主義、官、公、民のかかわりについて、政治学に関して、森政稔『変貌する民主主義』(ちくま新書、2008年)が参考になった。地域振興、町おこし型のアートイベントについては、『美術評論家連盟会報9号』(2008年)の特集「パブリック・アートの現在」の座談や論考が掘り下げている。この中で、椹木野衣氏は「パブリックという概念自体がブラック・ボックス化してしまっている」、秋元雄史氏は「官の論理だけで物事を進めていくことが、できなくなっていて」、高島直之氏は「(社会的アートや街興しアートは)アートサイドから行政府の政治政策の齟齬を隠蔽し、『文化政策』の美名において福祉行政の矛盾と怠慢を目くらまして補完に手を貸す、という構造化を促進させている面も否定できない」という。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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