gallery N(名古屋) 2025年6月7〜22日
北條知子
北條知子さんは愛知県生まれ。東京藝術大学大学院音楽研究科芸術環境創造領域、英ロンドン芸術大学 ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーション MA サウンド・アーツ修了。
実験音楽とサウンドアートのアーティストである。オノ・ヨーコや川上貞奴など欧米で活躍した日本人女性作家に着目するとともに、歴史的に沈黙させられてきた声の可聴化をテーマにプロジェクトを展開している。
ドイツのZKM、国際芸術センター青森など国内外で発表している。2024年には、愛知県立芸術大学の「アーティスト・イン・レジデンス」事業の一環で、同大サテライトギャラリーSA・KURAで個展を開いた。

このときは、米国の実験音楽の女性作曲家、ポーリン・オリヴェロス(1932-2016年)についてリサーチ。彼女の「ソニック・メディテーション(音の瞑想)」の概念をベースに、愛知県立芸大学(長久手市)のキャンパス周辺を歩き、現地で見つけた音素材を用いて演奏、録音し、その体験をもとにリスニング・スコアを制作した。
「Lost Lost and Found Found」
今回は、2018年にスロバキアのコシツェ市で取り組んだ滞在制作と個展「Lost and Found」 (遺失物取扱所)が基になっている。このときも歴史の中で忘れ去られ、排除され、見えにくくなったものがテーマである。
スロバキアで1960年代に実験音楽の分野で活動し、1970年代以降、共産主義体制下で活動を封じられ、後年、1990年代以降になって再発見された作曲家、ミラン・アダムチェクが題材である。
アダムチェクについてのリサーチを基に制作し、2018年の個展で展示した作品のほとんどは日本への移送中に行方不明になり、今も見つかっていない。

今回の個展では、残された2018年のわずかな作品(資料や音源など)、再制作された作品、継続的な主題性で新たに創作された作品から成っている。
つまり、現在から遡るように、失われた北條さんの作品、作品が展示された2018年のスロバキアの記憶、歴史の中で忘却された作曲家ミラン・アダムチェク、そして当時の冷戦構造がオーバーラップするような個展になっている。
スロバキアでリサーチした作曲家アダムチェクは、2018年の作品のほとんどが失われたことで、二重の喪失性を帯びている。
その「Lost Lost」が、かろうじて再現されたとき、すなわち「Found Found」されたときに、その微かな痕跡に私たちは何を感じるのか。東欧の名を知らぬ実験音楽のアーティストの声を、遥か離れた極東の日本でいかに聴くかということでもある。

今回の展示では、帯状につないだ半透明のトレーシングペーパーを垂らしたインスタレーション「Stained Score」(染色された楽譜)にまず目が留まる。
ペーパーには、色彩のシミがドローイングのようにひとつづきに付着している。
これらは、各種ティーバッグの出涸らしや、コーヒーを入れる際に使った後のペーパーフィルターを紙に載せて作った、シミによる実験音楽の楽譜である。
つまり、人間がコントールできないシミによる不確定性を介在させた図形楽譜の一種である。ティーやコーヒーを使ったのは、それが生活と密着したものだからだろう。
シミの「たま」のサイズを音の大きさにするなど、点や円、線などに一定のルールを決めて音楽を記譜し、展示。併せて、その音楽を会場に流している。
スロバキアの展示では、6メートルのトレーシングペーパーによる作品だった。当時の作品が失われたため、今回は、日本で新たに制作した作品と、2018年に制作した音源を基に再制作した楽譜が展示されている。

後者について言えば、2018年は楽譜を基に演奏したが、今回は、残っている音源から、逆向きに楽譜を制作したともいえる。北條さんは、楽譜作品の制作には偶然性があり、過去の作品とは「似て非なるもの」としている。
これと対比的に展示され、筆者が興味を覚えたのが、アダムチェク自身による図形楽譜の一部を80枚のスライドにして投影した作品である。
図形と線で構成されるが、コピーによる斑点、痕跡(アダムチェクは1990年代、コピーを制作ツールとして活用していたという)、経年劣化によるシミがあって、どこまでがアダムチェクが意図した楽譜かは分からない。
だが、そこにこそ、歴史と世界のうつろい、意味と価値の揺らぎと、それらを巡る恣意性と権力性(価値や状況を定義すること)、忘却と発見、記憶が主題化されている。
今回の北條さんの作品に見える揺らぎとノイズは、人間の生と歴史の不確かさ、はかなさと意味、ひいては、個人が生きることの本質を暗示している。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治」)