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太田元弘展 峡景・知欲の花

織部亭(愛知県一宮市)2019年10月19日〜11月10日

 太田さんは、名古屋芸大を卒業し、愛知県岡崎市を拠点に、絵画と誠実に、純粋に向き合ってきた。コンセプトや戦略、目的、ストーリーなどは考えず、見えたものを素直に心で受け止め、自分の中で咀嚼する。それは太田さんの生き方そのものである。以前は、ケヤキなど公園などの樹木を描き、ここ7年間は、長野県飯田市にある天竜峡のリンゴ園「天竜峡農園」に通い続けている。
 ここは家族経営の農園で、太田さんは9〜11月の土日曜、現地を訪れては、家族と交わりながら描くようになった。空気がきれいで、環境がよく、太田さんにとって、とても居心地の良い空間らしい。その素晴らしい環境を、展示空間のそこかしこに飾られた作品から私たちも感じ取ることができる。

太田元弘

 木炭デッサンによる野外スケッチを描き、アトリエに持ち帰って油絵にするというのが基本パターン。写真を撮り、太田さんの心象を映したように変化させるが、それも自然体である。最初は、公園の木と同様、1本のリンゴの木を描き、その後、それを包み込む周囲の木を含む風景が描く対象になった。
 味も姿も異なるさまざまなリンゴの果実、リンゴ狩り用に枝振りを下に引っ張った1本のリンゴ の木の表情豊かな姿、モンドリアンの絵画が好きで、格子の縦線、横線を意識し、L字形のキャンバスに描いた樹影、1本の木から周りの木へと広がるリンゴ園を穏やかな陽光が満ちた風景、あるいは遠方の霞んだ山並みを見通した奥行きのある光景、鳥の眼差しになって天竜峡を包む雲海を見下ろした世界。リンゴ の果実という小さな物から壮大な空間まで、今回の個展では、幅広いモチーフの作品が展示された。特に、花がクローズアップで描かれたのが今回の特徴である。

太田元弘

 花を描いた作品は、蜂の視線になって、現実には桜の花ほどのサイズの花を大きくクローズアップして描いた。リンゴ園の人から、リンゴの花もきれいだから、描いたらどうかと提案を受けたのがきっかけである。リンゴの花は、白やピンク色の花弁が美しく、とても愛らしい。桜のシーズンと同じ頃、1週間足らずの期間しか咲かず、タイミングが合わないと現地に行けない。今回は、たまたまリンゴ園からの、花が咲いたとの電話に対応でき、出かけられた。リンゴの花は、5〜7個ほどが集まって咲き、農作業としては、1つを残して他の花は摘んでしまう。
 「峡景 林檎花図」は、蜂が花に近づいていって見たとしたらこんな感じだろうかというほど、大きく拡大したリンゴの花を手前に描き、全体をソフトフォーカスで柔らかくとらえている。メリハリをつけすぎず、空気遠近法で背景を穏やかにぼかしている。デッサンと写真、現場での取材メモを頼りに対象を再構築し、奥の方には空と霞んだ山脈を描いた。葉脈の凹凸模様と山脈の凹凸模様が相似形になって呼応しているのが興味深い。見ていると、すぐ近くにいるような、絵の中にいるような温かい空気感が流れ出てくる。

太田元弘

 さらに大きな空間を描いたのが、鳥の視線で上方から手前の天竜峡から西へと望むような構図で描いた「峡景 雲海図」である。右手前にリンゴ園の緑を丁寧に描きこみ、霞がかかったはるか遠くの恵那山の山並みから、もくもくと湧き出るような雲海を空気遠近法で描いた大作だ。手前から奥に広がる空間の厚みと大気の肌触りの変化、さらには左右への開放的な空間性が見る者を包み込むようなイリュージョンを生み出している。
 太田さんは、絵の具を厚く載せることは最小限にとどめ、フラットに描いている。彩度を抑え、視覚的に優しくしているのも特長。絵画空間も空気遠近法によって静かに奥に広がる感じで、穏やか。自分が描くことで癒やされる感覚を見る人とも共有したいとの思いがあるようだ。

 作品のタイトルにも凝っている。個展タイトルの「峡景」も「知欲」も太田さんによる造語である。峡景は、天竜峡の景色であるし、知欲はリンゴが帯る象徴性から発想した。「果紋」は、果実の表面に繊細な模様を浮かべる王林や千秋など果実のシリーズである。老荘思想で、万物と触れあいながらも、自分は安らかであるという「攖寧(えいねい)」、「和して唱えず」を意味する「哀駘它(あいたいだ)」をタイトルにした作品、副題に好きな米国のポップスのタイトルを引用した作品もあるなど、太田さんの普段の生き方が反映されている。
 家族経営のリンゴ園という空間に身を置き、感じたままの空間、対象、雰囲気を素直に表現した。絵が好きで好きでしょうがないという気持ちがにじみ出る柔らかな世界。その中に太田さんがいて、見る人を手招きしている。狭い範囲にも果てしない宇宙があって、発見が尽きない。この世界を楽しみ、絵画を悦び、それを分かち合おうとしている作品である。

 

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