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織田信長像が豊田市美術館で公開 6月16日まで

 教科書などでも馴染み深い愛知県豊田市・長興寺所蔵の「紙本著色織田信長像」(重要文化財)の修復を記念した特別公開「よみがえる織田信長像」が2019年6月16日まで豊田市美術館で開催されている。6月1日の同美術館のリニューアルオープンに合わせ、展示室5で公開され、訪れた市民らが細部に目を凝らすように400年前の肖像画に見入っていた。
 天下統一の途上、信長は京都の本能寺で1582(天正10)年、明智光秀に急襲され、自刃。豊田市域の所領は次男、信雄に引き継がれた。その後、衣城代の余語正勝が恩に報いるため、狩野元秀(宗秀)に肖像画を描かせ、長興寺で一周忌の法要を営んだという。
 武士の正装姿の信長像は、緊張感と威厳を感じさせ、周囲から畏敬される存在だったことを伝える。力強さ、聡明さを印象付けながら、神経質な雰囲気も帯びた相貌だ。展示会場やリフレットでは、修復の経緯や肖像画の特徴、歴史的背景などが丁寧に解説され、歴史好きや美術ファンはもとより、若い世代の子供達の学習にも良いのではないかとと感じた。狩野元秀は、安土城障壁画を手がけた狩野永徳の弟で、信長との接点もあったと考えられることから、信長の実像に最も近い姿を伝えているとされている。
 描かれてから400年、前回の修理からも70年以上が経過していることから、平成28年度に掛け軸の表装を解体する大修理を実施。本紙の横方向のしわなどを含め、修理を進めた。今回の調査で、水墨画によく使われる「竹紙」が使われていることや、表面に現れない下描きの墨線、小袖に盛り上げ胡粉で描いた桐唐草文の繊細な表現を確認できたという。また、軸木に墨書があることも判明。大平洋戦争末期の1945(昭和20)年に、修復をした表具師が沖縄出征を前に苛烈な沖縄戦の最中に修復を終えたことを記していた。


 

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